【デジタル大好き税理士・戸村涼子presentsペーパーレスから始めよう】デジタル大好きな税理士が自然いっぱいの不便な場所に暮らしている理由

「デジタル大好き税理士」と自称しているとおり、私は普段の仕事から生活まで、デジタルを活用しています。生成AIなどの最新のテクノロジーも好きで、「これ楽にできないかな」というアンテナを常に張り、試しています。

そんなデジタル大好きな私ですが、実は住んでいるところは自然がたっぷりの鎌倉という場所です。約1年前に、引っ越してきました。周りには、商業施設はほぼなく、高いビルもありません。あるのは、森林浴ができるお寺や個人がこじんまりと経営している古民家カフェばかり。街全体がゆったりとした雰囲気です。

デジタルで効率化することが大好きなのに、普段の生活は自然の中でゆっくり?」とギャップを持たれることも多いです。今日は、デジタル大好きな著者が敢えて自然いっぱいの場所に暮らしている理由を書きます。

デジタルは、生活を単調にする

私は、東京都の新宿区に生まれ、育ちました。結婚するまでの20数年間、東京に住み続けた根っからの都会人です。電車が5分毎に来るのは当たり前だし、家から歩いていける駅の数が3駅、4駅あっても普通と思っていました。

ただ、だからといって「都会が好き」という感覚はなく、たまたま生まれ育った場所が都会だったというだけで特に都会に住み続けたいという気持ちはありませんでした。とはいえ、都会から離れたことがなかったので、都会以外の場所で暮らすことが想像できなかったんですね。

それが大きく変わったのが、コロナの時期です。コロナが始まった頃、私は横浜の中心に住んでいました。周りはPC作業ができるカフェや無人レジが整備されているスーパー、コンビニが何軒もあり、マンションの中にはリモートワークができる会議室がついていました。まさにデジタル好きな私にはぴったりの場所だったんですね。ただ、数年たったときに「なんだか生活が単調だな」と思うことが多くなりました。

どこでも自分が望むものを手に入れられるし、お店ではモバイルオーダーで時間短縮できるし、オンライン会議ツールがあれば誰とも会わなくて済む。家にいながらUber eatsでいつでも好きなものが食べられる。こんな便利な生活はないですよね。でも…なんだかつまらない。物足りない。

そのときに気づいたのが、「デジタル中心の生活は、楽だけど単調になる。人間らしい生活ができなくなる。」ということでした。デジタルを駆使して合理的でスマートに生きているようでも、本来人間は不合理さを求める生き物。そんな矛盾に気づいたのでした。

たまたま訪れた鎌倉にシンパシーを感じた

そんなときにふと立ち寄ったのが、東京から1時間程度で行ける鎌倉です。私が気に入ったのは観光地が多い鎌倉駅のほうではなく、ひとつ手前のお寺や自然の多い北鎌倉駅のほうです。降り立った時、「あれ、空気が違う」と感じました。降り立った季節は初夏だったのですが、自分以外の生物(虫、鳥など)や自然(森林、山、川など)のエネルギーを感じ、「あ、心地いいな」と思いました。「ここに住みたい」と直感的に思い、すぐに実行に移しました。完全にインスピレーションだけでした。

引越し後は、「歩いていける距離にスーパーがない!」「周りに作業しやすいカフェがない!」などなど、あらかじめわかっていたことなのに慣れるのに時間がかかりました。1年たった今は、すっかり今の場所が気に入ってしまいました。都会でスマートにデジタルを駆使してタイパ良く行動するよりも、お店の人と無駄話をしたり、なんのお金にも結びつかない庭いじりをしている時間が楽しい。庭でコンポスト(生ゴミを堆肥にして再利用すること)を実践してあらたに野菜を育てて循環させることが何よりも幸せです。当然、全くGDPには貢献しないですけどね。もうビルが立ち並ぶ都会には戻れないとまで思っています。

デジタル時代だからこそ、レジリエンス(柔軟性)を

鎌倉に住んで1年たって思うことは、デジタル時代だからこそ、自然と積極的に触れ合ってバランスを取ることが必要ということです。日々デジタルデバイスばかり触れて、人やシステムがあふれる都内に暮らしていると、「こうすれば、こうなる」といった全能感を過剰に持ってしまいます。「タイムパフォーマンス(タイパ)」なんて言葉が流行しているのも、「効率的な情報摂取」が当たり前のデジタル時代を表しています。これにより、失われるものがあると思っています。それは、柔軟性(レジリエンス)の力です。

レジリエンスとは、「回復力」「弾性(しなやかさ)」のような意味合いで使われる用語です。どんな状況でも適応してやっていく、といったイメージでしょうか。ビジネスの文脈では個人の能力のひとつとして捉えられているようですが、私はビジネスに限らずこの力はすべてのシチュエーションにおいて必要な資質と考えています。

レジリエンスの力がなくなるとどうなるか。一番の影響は、イレギュラーなことに対して非常に脆弱になるということです。一番わかりやすいのは震災等の自然災害ですね。2011年の東日本大震災があったとき、東京は交通機関が一瞬にして麻痺をし、帰宅困難者が溢れました。2020年の新型コロナ感染症が流行したときには、トイレットペーパーなどの生活必需品や、マスクがお店からなくなりました。いくら能力がある人でも、いくらお金がある人でも、こういった「能力やお金では解決できないこと」に対しては無力でした。私はこのときあらためて、どうにもならないことに対して「謙虚でいる」ことの大切さを思い知りました。

レジリエンスは、人間関係にも大切です。その最たるものが、子育てと考えています。私は都会で子育てをしたのですが、非常に窮屈に感じました。今だったらその理由が分かります。子どもも自然と同じで、「こうすれば、こうなる」とコントロールできるものではないからです。すべてが時間通りに、効率的に流れる都会で、そんなものと全く無縁の子どもを育てるのは、相当窮屈なのは目に見えています。

普段仕事で接する人との関係にもレジリエンスは求められます。デジタルの世界(特にSNS)では、自分にとって耳触りの良い人の情報ばかり入ってきます。そうすると、いつしか「自分の意見は正しい」というバイアスが強化され、少しでも違う発言をする人がいたら攻撃したくなってしまうのではないでしょうか。SNSはごく一部の世界(しかも自分にとって都合の良い世界)です。実際は、自分とは全く異なる考えを持つ広大な「社会」があります。社会と断絶していれば、心地よいかもしれません。しかし、いざ知らない人とも助け合っていかなければならない状況になったときに、レジリエンスの力がなければやっていけないと思います。

それでは、レジリエンスの力をつけるにはどうすればいいのか。そのキーとなるのが今回テーマにした「自然との触れ合い」です。

私が家探しでこだわったのが庭付きの物件です。ちょっとの敷地でいいから、自分だけの庭を持って土と触れ合い、何かを育てたいと思いました。自然の中で何かを育てるのって、システムによる効率化のように上手くはいかないんですよね。良い土を準備して、種まきすればなんでも育つわけじゃなくて。水やりをかかさなくても、悪い天候が続いたり、気温が高すぎたり、害虫が発生したり、上手く育たないこともしばしば。小さな家庭菜園でさえこんな状況だから、大規模に運営されている農家さんはどういうメンタルなんだろう、とふと考えます。天候は人間の力ではどうしようもできないですし。でもこういった「どうしようもできない」を味わいたくて、私は都会から抜け出した気がするんですね。「こうすれば、こうなる」のシステムの全能感を勘違いしてしまうと、短期的な成果を求めすぎたり、ちょっとしたことで折れてしてしまうのだろうと思います。

デジタル時代、新しいテクノロジーが次々と登場してそれを使いこなすことも大事ですが、一方で、「ロジックやシステムではどうにもならないこともある」という謙虚さが求められている気がします。そのために、自分ではどうにもならない自然と触れ合う時間を作るのは、有効です。

とはいえ、「仕事や学校の関係で簡単には引っ越せない」という人も多いでしょう。そんな方にお勧めが、1週間に1度や1ヶ月に1度など、定期的に自然の中へ行くことです。2泊3日の森林浴をするだけで、NK細胞(体内の免疫システムの一部を構成する白血球の一種で、異常細胞を素早く認識し、直接攻撃して排除する役割を持つ細胞)の活性を高め、免疫機能を強化することを示す研究結果もあります。

定期的に自然の中に行くことが難しい方は、近所の公園を朝歩くだけでも全然違うはずです。大切なことは、デジタルなどのロジック優先の世界と、自然などのレジリエンス中心の世界との間を上手く行き来し、バランスをとることです。

関連するタグ
ペーパーレスから始めよう
関連するワード

デジタル,レジリエンス(柔軟性)